社会・文化

TSUKUBA FUTURE #026:古典文学から日本の食文化をひも解く

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人文社会系 石塚 修 教授



茶の湯文化が西鶴作品にいかに深く影響を及ぼしていたかを検証した研究成果を2014年2月に出版した

茶の湯文化が西鶴作品にいかに深く影響を及ぼしていたか
を検証した研究成果を2014年2月に出版した。


 納豆、とろろ、ウナギなどのようなヌルヌル・ネバネバした食べ物を好むのは、和食文化の特徴の一つです。化学的な成分が解明されるはるか前から、これらが「精のつく食べ物」であることは経験的に知られており、それが代々伝承されて定着したようです。石塚さんの専門は井原西鶴をはじめとする日本近世文学、茶の湯文化の研究です。そこから発展し、古典文学に登場する納豆に関する記述から、日本で納豆がどのように広まり、食べられてきたかという研究も進めています。


 納豆は大豆を発酵させた食品です。多くの発酵食品と同様、納豆も偶然の産物だったと考えられます。その起源についてはいくつかの説がありますが、石塚さんは味噌づくりの過程で起こった失敗が納豆の始まりではないかと考えています。同じ大豆発酵食品である味噌は、納豆よりも早くからつくられていました。味噌づくりの際の温度調節がうまくいかず、たまたま麹菌よりも納豆菌の発酵に好適な条件が生じ、納豆ができてしまったのではないかというのです。当初はさぞかし驚いたことでしょうが、捨てずに食べた人がいたわけです。おそらく、もったいないという気持ちがあったのでしょう。おかげで、現代の私たちも納豆を味わうことができるのです。


京都の常照皇寺に伝わる納豆縁起南北朝の政争に敗れて出家した光厳法皇の生涯を描いた絵巻物の一部(石塚教授提供)。村人が献上したわらづとに包んだ味噌豆(右下)が発酵して納豆になったと伝えられている。このような偶然が、あちこちで起こったものと思われる。

京都の常照皇寺に伝わる納豆縁起。
南北朝の政争に敗れて出家した光厳法皇の生涯を描いた絵巻物の一部(石塚教授提供)。
村人が献上したわらづとに包んだ味噌豆(右下)が発酵して納豆になったと伝えられている。
このような偶然が、あちこちで起こったものと思われる。


 最初に納豆を食べるようになったのは、日本各地の山間部にある農村だったようです。今では年中簡単に手に入りますが、本来は大豆が収穫され、発酵に好適な秋口から春先の時期だけつくられる冬期の食べ物でした。ですから「納豆」は俳諧では冬の季語です。温度管理など、納豆づくりは手間がかかるため、正月や祭りなど特別な行事に際して食べられていたと考えられます。それもご飯にのせて食べるのではなく、納豆汁、つまり味噌汁の具にしていました。寒い時期に良質のタンパク質を摂取して体を温めるための知恵でした。今でもネギや辛子を薬味に使いますが、これはそれらを汁の吸い口(風味づけ)にしていた名残だと、石塚さんは考えています。納豆汁は、千利休が主催した茶会の懐石のメニューにも見出せます。納豆は江戸のまちでは庶民の食文化となりました。江戸時代の食習慣では、ご飯を炊くのは江戸では朝が一般的であったため、炊きたてのご飯と合う納豆は朝食と組み合わされ、朝食メニューとして広まりました。やがて江戸時代も後期になると夏場でも作られるようになったり、叩いた納豆に豆腐やネギをパッケージにして簡単に汁にできるようにした「納豆汁セット」までも売られていたそうです。汁にする手間を惜しんだ人たちはそのまま飯にのせて食べ始めました。納豆は、このようにして朝定食の定番となり、今に至っています。


納豆文化に関する講演では巧みな話術で聴衆を沸かせる。2014年5月の「第10回納豆健康学セミナー」にて(写真提供:全国納豆協同組合連合会HP)

納豆文化に関する講演では巧みな話術で聴衆を沸かせる。
2014年5月の「第10回納豆健康学セミナー」にて(写真提供:全国納豆協同組合連合会HP)


 筑波大学の図書館は、古典籍や歴史資料が充実しています。現在ではさまざまな機関の収蔵資料がデータベース化され、キーワード検索が比較的容易になりました。しかし大切なのはそこから先、膨大なアーカイブの中から集めた情報を、どのように分類し分析するかです。資料の背景をなす歴史的・文化的な文脈を読み解き、書かれた内容を検証することが研究の要です。図書館だけでなく、資料を探してあちこち歩き回ることもあります。そのすべての場所が石塚さんの研究室です。


古今の文化、教養の必要性について、話は留まるところを知らない

古今の文化、教養の必要性について、話は留まるところを知らない。


 時代劇や落語が好きだった石塚さんは、ごく自然に江戸時代の文芸作品に関心を持ちました。好きなことを突き詰めていくにはモチベーションとポテンシャルが不可欠です。自ら課題を設定し、仮説や推論を立て、資料を調べてその妥当性や別の説の可能性を検証する。研究の作法は文系でも理系でも同じです。ただ、文学研究では、実験などで仮説を証明することはできませんから、ひたすら書物や資料をたどり続けるしかありません。自分だけで完結できなければ、次の世代の研究者へと引き継がれていきます。


 古典文学においては、「食べる」という生々しい行為を描写することはある種のタブーとされ、そういったことは書かないことが一般的でした。江戸時代になると、食も含めた庶民生活が描写されるようになりましたが、それでも位の高い人々の食事に関する具体的な描写はほとんどありません。また、大きな歴史的な出来事は書き記されても、日々の庶民の生活などは記録に残されないものですし、古い言葉や文字で書かれたものを読むだけでも時間がかかります。これまでも食文化を研究対象にした人はいましたが、納豆に着目した先行研究はありませんでした。膨大な文芸作品から食文化をたどるのは面倒で難しい作業ではありますが、調べるほどにどんどんと興味が広がっていく楽しみがあります。納豆から豆腐、油揚げ、さらには豆の食文化全体へ、あるいは他の文化へも、石塚さんは関心を広げ続けています。


文責:広報室 サイエンスコミュニケーター


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