TSUKUBA FUTURE #134:CO2シープは未来の海を知る「自然の実験室」
生命環境系 ハーベイ・ベンジャミン助教
「地球温暖化が進めば、海洋の酸性化も進む。食い止められなければ、海洋生態系の多様性が失われる。いま、海で起きつつあることを多くの人に知ってもらいたい」。筑波大学下田臨海実験センター(静岡県下田市)を拠点に活動するハーベイさんは、自らの研究成果も踏まえ、そう話します。
現在の海水は弱アルカリ性(ph約8.1)ですが、pHが低下傾向にあります。温室効果ガスであるCO2の大気中濃度の上昇に伴って、大気から海に溶け込むCO2の量も増えているからです。これを海洋の酸性化と言い(海水が酸性になるわけではありません)、海洋の生態系に大きな影響が出ると指摘されています。例えば、貝やサンゴは殻や骨格を炭酸カルシウムで作りますが、酸性化が進むと、それが難しくなってしまうのです。
ハーベイさんが、そうした将来の海の姿を探る「自然の実験室」として活用している場所が下田市から南東に約50㌔離れた伊豆諸島・式根島(東京都新島村)にあります。海底から二酸化炭素(CO2)が噴き出す「CO2シープ」です。同センターの研究チームが2015年に報告しました。同センターの調査研究船「つくばⅡ」(総トン数19㌧、全長17.9㍍)を使えば、センターから2時間で到着することができます。
小型の藻類などが多く、多様性は低い。
世界の海の平均的なCO2濃度は現在約400ppm(ppmは100万分の1)ですが、21世紀末には900ppmを超える恐れがあります。筑波大などの研究チームが式根島のCO2シープ周辺海域の濃度を調べたところ、300ppmから1000ppmを超えるまでバラエティーに富んだ海域が広がっていることが分かりました。つまり、式根島のCO2シープ周辺海域のCO2濃度は、過去、現在、未来の海に相当する濃度になっているのです。
これまでの研究で、CO2濃度が900ppmの海域ではサンゴ類や大型海藻類が周辺海域より少ないことが分かりました。サンゴや大型海藻は、海底との間に立体的な構造を形成し、それが他の生物のすみかとなります。ところが、900ppmの海域ではそれが失われてしまい、結果として魚類などの多様性も低下していました。
では、失われた多様性を取り戻すことはできないのでしょうか。
ハーベイさんたちは、式根島のCO2シープ周辺海域を文字通り自然の実験室として活用する研究を実施しました。CO2濃度900ppmの海域と通常海域に正方形のタイル(15㌢四方)を5枚ずつ設置し、半年間、経過を観察したのです。すると、通常海域では、タイルの上に大型海藻類などが付着して多様性が高い生物群集が出現しました。一方、900ppmの海域では、小型の海藻類がタイルの上を覆い、海底をすみかとする底生生物もいなくなってしまいました。
ところが、900ppmの海域に設置したタイルを通常海域に移したところ、数カ月で周囲の通常海域と同じ状態に戻ったのです。海洋中のCO2濃度を適切なレベルに戻せば、生態系は回復する可能性があることを示す研究結果でした。このような実験を、地上の実験室で行うことは難しく、まさにCO2シープならではの研究だと言えるでしょう。
ハーベイさんは英イングランド東部のノリッジ出身。英ウェールズのアベリストウィス大学で海洋気候変動生態学の博士号を取得後、指導教員の勧めもあって2016年に来日しました。「将来の海の姿を示すCO2シープを舞台に研究できる環境に引かれた」と言います。当初は短期滞在のつもりでしたが、「南北に長く広がる日本の美しい海岸性や多様な生物相、下田の温かなコミュニティーに魅入られ、長期滞在になった」と振り返ります。
下田を拠点とするハーベイさんですが、世界の海を舞台に、各国の研究者と連携した研究にも積極的に取り組んでいます。
今年9月に英科学誌「ネイチャー」の掲載された論文もその成果の一つです。英エクセター大学の研究者らとの共著で、産業革命前に比べて地球の平均気温が2度上昇すると、ほぼ全てのサンゴ礁が成長不能となり、沿岸部で浸水リスクが高まることを示しました。
研究では、米フロリダやメキシコなど西大西洋熱帯域のサンゴ礁約400カ所の現状を調べました。また、各地のサンゴ礁の化石を調べて、サンゴ礁の成長速度を算出しました。これらのデータを合わせて分析した結果、多くのサンゴ礁の成長速度は、地球温暖化に伴う海面の上昇速度を既に下回っており、2040年までに7割以上が浸食状態に転じることが分かったのです。今世紀末までに地球の平均気温が産業革命前より2度以上上昇すると、サンゴ礁の99%以上が成長を止め、サンゴ礁の上の水深は0.7~1.2㍍増加すると予想されました。
地球温暖化に伴い、多くのサンゴ礁の存続が難しくなることは、これまでも指摘されてきました。この研究は、サンゴ礁が存続している段階でも、その造礁能力が低下することでサンゴ礁が浸食されていくことを明らかにしたことが、従来の研究にないポイントでした。サンゴ礁が浸食されると、沿岸は高波や波浪の影響を受けやすくなるため、今後の対策にとっても重要なデータとなります。
今後も「下田発」の研究成果が、世界の海洋研究に貢献することが期待されます。
(文責・広報局 サイエンスコミュニケーター)