TSUKUBA FUTURE #127:柔道からeスポーツ道へ 自他共栄の科学
体育系 松井 崇 助教
多くの現代人が、インターネットなどのサイバー空間を利用して仕事をするようになりました。コロナ禍がこれに拍車をかけ、一日中自宅で一人、パソコンに向かう経験をした人も多かったのでは。そのような頭脳の活動や労働で問題となるのが「疲労」や「孤独」です。
松井さんはコンピューターゲームで競い合うeスポーツをその科学モデルと位置づけ、自覚しにくい認知疲労の可視化や人と人との絆づくりに関する研究に取り組んでいます。
実は、松井さんは柔道五段で、筑波大柔道部時代には国際大会で優勝したこともある実力者。研究者としての原点も柔道にありました。
筑波大の大学院生時代に着手したのが脳の疲労の研究です。自分より体の大きな相手と対戦。中盤までは持ちこたえていたが、終盤は疲れてしまい、相手の技に耐え切れなくなって敗れた......。そんな悔しい状況を克服したいという思いから始まった研究でした。
疲労は、筋肉の疲労(末梢疲労)と脳の疲労(中枢疲労)に大別されます。筋肉の疲労は、グリコーゲンと呼ばれる糖質が筋肉で消費され、エネルギーが枯渇することで生じることが知られていました。また、脳にもグリコーゲンがあることが今世紀に入って分かってきましたが、その働きは不明でした。
松井さんたちは、運動時には活性化した脳でグリコーゲンが消費される一方、乳酸が増え、中枢疲労が生じることを動物実験で明らかにしたのです。「運動で生じる疲労の克服が研究の動機だったが、疲労には運動のし過ぎを防ぐ役割があることが分かった」と振り返ります。こうした研究が後年、eスポーツによる脳の疲労の研究にもつながっていきます。
講道館柔道の創始者で、東京高等師範学校(筑波大の前身)の校長を務めた嘉納治五郎は「精力善用 自他共栄」という言葉を残しました。強くなるための柔道の稽古を通じ、人と人とが絆を育み、互いに人間としてもたくましくなっていくという精神を表したものです。
松井さんは全日本柔道連盟の科学研究部基礎研究部門長も務めており、「精力善用 自他共栄」を研究テーマに掲げています。個人のパフォーマンス向上が期待できる疲労の研究は、「精力善用」につながる研究でもありました。
柔道が「自他共栄」につながることも、科学的に裏付けられました。筑波大柔道部員の協力を得て稽古の最中と前後に唾液を採取し、「オキシトシン」というホルモンの含有量を調べたところ、その分泌が稽古中に高まることが分かったのです。オキシトシンは出産や授乳、恋愛の際などに分泌され、「愛情ホルモン」や「絆ホルモン」とも呼ばれています。松井さんは「柔道には、共感性や人と人との絆を育む側面があることを科学的なデータで示せた。これはまさに自他共栄です」と言います。
これらの結果が出たのは2019年ごろ。ちょうど、茨城国体でeスポーツが文化プログラムとして実施された年でした。eスポーツの会場を訪れた松井さんは「eスポーツでもオキシトシンが出るのではないか」とひらめきました。「小学生の頃にゲームセンターに出入りしていて、柔道の出稽古感覚で年上のお兄さんたちと格闘ゲームを楽しんだ時、絆を感じたことを思い出した」(松井さん)からです。
そこで、学内のeスポーツ大会に参加した学生の協力を得て、唾液に含まれるオキシトシンの量や心拍数などを計測しました。すると、対面で対戦した場合は、たとえ見ず知らずの相手であっても、柔道などと同様にプレー中はオキシトシンの分泌が高まり、心拍数も上昇することが分かったのです。
残念ながら、オンライン対戦ではこうした効果は見られませんでした。しかし、対面での対戦環境に近づけるため、画面上で相手の顔が見えるようにすると、オキシトシンの分泌がある程度増えました。さらに、対戦相手の心拍数を振動で伝えるベストを着用してプレーしてもらったところ、オキシトシンの分泌が対面による対戦時の9割にまで高まりました。
このようなeスポーツの絆効果は、現代社会のさまざまな場面で活用できます。例えば、高齢者同士がデイサービス施設などで対戦を楽しんだり、高齢者と孫が一緒に楽しんだりすれば、高齢者の孤独が解消され、前向きな気持ちになることが期待されます。松井さんの研究で、軽運動とeスポーツを組み合わせると、高齢者の認知機能が高まることも分かってきました。そもそも孤独の解消は、高齢者に限らず、現代社会に広く共通する課題です。
体そのものを激しく動かす必要がないeスポーツは、高齢者や運動機能に障害がある人も参加しやすいインクルーシブな存在で、こうした絆づくりは、組織におけるチームワークを高めていくことにも役立ちそうです。
ただ、肉体的な疲労を感じにくいeスポーツには、長時間続けてしまいがちになるという問題もあります。2時間以上続けると、体は疲れを感じていなくても、脳の判断力などが低下する「認知疲労」という現象が起こることが知られています。
「目は口ほどにものを言い」と言われますが、松井さんは認知疲労の検出に、目を活用できないかと考えました。近年、瞳孔の大きさが脳活動の指標になることが分かってきたからです。そこで、筑波大の学生などにeスポーツをしてもらい、瞳孔の大きさと認知疲労との関連を調べた結果、瞳孔の変化が疲労の検出に有効であることが示されました。
実験の参加者はeスポーツの開始から2時間後まで体の疲れを感じていませんでした。ところが、その時点で認知疲労を調べるテストを実施したところ、認知疲労が生じており、瞳孔径も約0・1㍉縮小していたことが分かったのです。つまり、瞳孔の縮小は、本人が疲れを感じる前に生じ、認知疲労の指標として活用できるということです。
eスポーツによる疲労防止はもちろん、パソコンに向かって仕事を続けるオフィスワークでの疲労検出などにも利用できる成果です。
「eスポーツ科学の成果を社会実装することで、楽しい、うれしいなど人々が前向きな気持ちで行動変容し、健康や人間力を高められるような世界を創っていきたい」と松井さん。その歩みにより「eスポーツ道」が敷かれていくのでしょう。
(文責・サイエンスコミュニケーター)
(文責:広報局 サイエンスコミュニケーター)