未解明の不思議を追う
株式会社学研プラス 趣味・実用コンテンツ事業部 趣味・カルチャー事業室 ムー編集部 編集長
三上丈晴さん
スーパーミステリーマガジン「ムー」といえば、隠れファンも多い人気雑誌です。オカルトや都市伝説など、非科学的と揶揄されがちな話題を扱っていますが、それはスタンスの問題。科学とは何か、考え抜かれた誌面が、読者の心を掴みます。
-筑波大では物理学を専攻したそうですが、最初から出版社への就職を希望していたのですか。
当時の第1学群、朝永振一郎先生の後を継いだ研究室に所属していました。バリバリの理論物理ですね。その頃は、銀行などでもディーラーとして理系を採用するようになって、就職先の選択肢は広がっていましたし、バブル期で、希望すればたいがいの企業には行けそうな雰囲気でした。そんな中で、出版社に絞って就活していました。
バブルとはいえ出版業界は買い手市場だったので、何社も応募しましたが、学研が最初に内定をくれました。それでそのまま決めたんです。創業時に東京教育大出身の人が多かったようですから、その流れもあったのかもしれませんね。
入社して最初の半年ぐらいは歴史関係のムックシリーズを担当しましたが、それ以降、ずっと「ムー」の編集をやっています。雑誌という媒体自体が難しい時代ですが、研究家やライターの方々のおかげで続けてくることができて、来年で創刊4 0 周年を迎えます。編集長になっても、ネタ探しにはいつも苦労していますし、取材をして記事を書く、という作業はずっと変わりません。
-かなり怪しげだと思いつつも、つい目を引かれてしまいます。毎月、これだけの誌面が埋まるほど、そういう話題は尽きないものなのですね。
オカルト雑誌と言われることが多いのですが、UFO 、超能力、古代文明、ツチノコなどなど、「ムー」で扱っている話題は、一つのカテゴリーでくくれるものではありません。科学的でないという批判も受けますが、科学だって自然科学だけではないし、物理と化学と数学とでも物事の捉え方が違います。極端に言えば、「科学的」が意味するところも人によってバラバラです。ムーは、いろいろな見方に基づいた「説」を紹介し、読者に考えて欲しいというスタンスです。それで最近は「哲学雑誌」と言っています。
哲学はすべての学問の源。博士号だって、英語だと分野に関係なく「Doctor of Philosophy」ですよね。哲学には宗教学と思想と美学があって、そのうちの思想の中に科学という概念がある。日本の教育では哲学をちゃんと学ぶ機会がほとんどないんだけれど、こういうことを理解していないと、科学的云々の議論は不毛です。
人間とは何か、人類にとって最も重要なこの命題には、ギリシャ哲学以来、まだ答えが出ていません。そこからさらに、命とは何か、死後の世界はあるのか、などの様々な問いが生まれるのだけれど、それも答えは出ていない。答えがない、のではなくて、まだわかっていないんです。だからいろんな説があっていいし、アマチュア研究家から大学教授まで登場できるんです。それが「怪しさ」として人を惹きつけるんでしょうね。
-筑波大にはそういう考え方を養う土壌があったのでしょうか。
1980年代半ばに、筑波大でニューサイエンスの国際シンポジウムがありました。ニューサイエンスって今では死語ですが、要するに欧米の近代科学の方法論ではなくて、東洋思想みたいなものも取り入れて全体主義的な概念で科学を捉え直そうという動きのことで、ちょっとしたブームになっていました。その国際シンポジウムは、スペインで第1回が開催されて、2回目がつくばでした。筑波大のフランス文学や哲学の先生たちが、その旗振り役だったんです。それで筑波大に興味を持って、進学しようと思いました。
筑波大にはいろんな都市伝説があって、それで新入生を脅かしたりしたものです。宿舎には幽霊話がいくつもありましたし、秘密の生物実験施設で人面犬がつくられているとか、地下に「第4学群」があって、そこは軍事基地になっていて、いざ核戦争が起こったら、理系の学生は兵器開発に、体専(体育専門学群)は兵隊として送り込まれる、なんて話がまことしやかに伝わっていました。実際、第4学群の標識があったんです。どうやら当初は第4学群もつくる予定だったらしいですね。
-そう聞くと、筑波大もなかなか怪しい所ですね。ご自身は学生生活を満喫されましたか。
今だから言うと、宿舎でもサークルでもずいぶん酒を飲まされましたよ。酔って暴れて松美池に飛び込んだりね。高校時代はバレーボールをやっていて地区大会優勝もしたんですけど、筑波大の部活はレベルが違いすぎて、サークルに入りました。そしたらメンバーが100人ぐらいいて、とてもバレーボールにならない。それで2年生の時に、ワンダーフォーゲルを始めました。車はあるし、どこかに行きたくて。山登りや川下りをいろいろやりました。特に屋久島は過酷でしたね。スコールみたいなものすごい雨の中を決死の覚悟で登って屋久杉を見てきました。学業は、理論物理で、基本的にはゼミが中心でした。4年生になっても週に4日とかゼミがあって、これが大変でした。
もし戻れるなら、学生時代に戻りたい。人生における夏休みの大半は大学時代に使ってしまうのではないでしょうか。お金はないけれど、時間はたくさんあるし、責任もない。将来への不安もなくて、いちばん楽しめる時期だと思うんです。だから、今の学生たちも、良い意味でも悪い意味でも、大いに遊んで欲しいです。もちろん、人に迷惑をかけたりするのはダメですけどね。若いって素晴らしい。ぜひ今という時を楽しんでください。
(色紙右下の文字はヘブライ語で「こんにちは」の意)
PROFILE
1968年 青森県生まれ
1991年 筑波大学自然学類卒業
同年、株式会社学習研究社(現 株式会社学研ホールディングス)に入社し、「歴史群像」編集部を経て「ムー」編集部所属。2005年、5代目編集長に就任。世界のミステリーや不思議現象を知的エンターテイメントとして発信し続ける傍、テレビ番組やイベントへの出演、コラム執筆なども精力的にこなす。信じるか信じないかはあなた次第。
関連リンク
TSUKUCOMM Vol.41