ALUMNI

垣内 美都里氏(TSUKUCOMM Vol.40)

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ダイバーシティをライフワークに

株式会社ぐるなび 取締役 執行役員 管理本部 法務コンプライアンス室長 ダイバーシティ推進室長
垣内 美都里氏


ダイバーシティの重要性は誰もが認めるところですが、女性活躍など、その捉え方はごく一部にとどまっているのも事実です。垣内美都里さんは、日本の食文化を海外に発信するという視点から、真に多様性を理解する人材の育成を進めています。


-食の情報発信をする企業にとって、ダイバーシティにはどのような意義があるのでしょうか。

飲食店の情報サイトは、海外からの観光客などにも利用していただくものです。和食は世界遺産にもなっていますし、日本には世界中の料理が集まっていて、しかもそれぞれのレベルが高い。それほど素晴らしい日本の食文化なのに、世界に向けての発信はいまひとつだと感じます。それには、外国語対応だけでなく、文化や習慣の違いなども理解した上で、日本の良さをアピールすることが大切です。ネット検索も、方法や目的が多様化していて、求められる情報の種類や見せ方にも工夫を凝らさなくてはなりません。ですから、外国人や老若男女、さまざまな人の視点を取り入れる、つまりダイバーシティを広げることが、より良いサービスの提供につながります。少子高齢化で国内市場が縮小しても、そうして食を楽しむ目的で日本を訪れる人が増えれば、日本の食文化の継承はもとより、経済成長ももたらします。
ダイバーシティ推進はトップのコミットメントが鍵です。役員として、日頃からできるだけ多くの社員とコミュニケーションを図って課題を見つけ、それらを行動目標として業績評価や人事システムに組み込んで、ダイバーシティが自分ごとになるよう、組織全体の意識改革に努めています。

-ダイバーシティに取り組むようになったきっかけは何ですか。

筑波大では法律、特に商法を専攻しました。女子学生の就職は厳しい時代でしたから、企業で役立ちそうなことを学ぼうと考えたんです。当時の就活は先輩リクルーターの採用活動が一番の頼りで、日産自動車に就職していた先輩女性が声をかけてくれました。入社して法務部に配属されたのもラッキーだったと思います。
その頃の日産は典型的な日本型企業でしたが、バブル期を過ぎて経営状態が悪化すると、フランスから新しい経営陣がやってきて、グローバル化という劇的な変化の波にさらされました。社内公用語が英語になり、異なる価値観が導入され、優れた提案でも日本流のアピー
ル方法では国際社会で評価されないということを痛感しました。大変でしたが、ずいぶん鍛えられましたね。
法務担当としてグローバル体制の構築に関わる中で、徹底的なダイバーシティ推進も大きなテーマでした。女性活躍から始まり、真に多様性を受け入れる方向へとフェーズを移していきました。ダイバーシティを理解する人こそがグローバルに活躍できるということなんですよね。これからも、ライフワークとして、そういう人材を育てる一翼を担っていきたいと思っています。

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-学生生活を振り返って、ご自身のキャリアの糧となるような出来事や経験はありますか。

受験の時点で学部を決めてしまいたくなくて、筑波大を志望しました。田舎にいると将来の進路に全くイメージがわかないし、いろいろ見てから決めたかったんです。都会に出たい気持ちもありました。インターネットもオープンキャンパスもない時代で、つくばに行ったのは入試が初めてです。今思えばかなりの冒険ですが、好奇心の方が圧倒的に強かったですね。
つくばは想像していたような都会ではなかったものの、多くのカルチャーショックがありました。まずは風景。どこまでも続く平野に筑波山だけという眺めは、海や山々に囲まれた故郷とは大違いで驚きました。でも何より驚いたのが、分野も個性もとにかく千差万別な学生たちです。田舎から出てきた自分にはびっくりするような人もいましたが、自分とは全く違う人たちと触れ合うのは宿舎生活ならではの体験です。体育の授業で柔道をやることになってしまって、柔道に男女の差はない、なんて言われて、男子に何度も投げ飛ばされたりもしましたが、それもこれも、ダイバーシティの原点のような経験の連続でしたね。
また、つくばでの生活には車が必需品でした。免許を取り自分で運転するようになると楽
しくて、友人と一緒に夜の筑波山などあちこちドライブして回りました。そもそもの就職先に自動車会社を選んだのには、そんなことも影響したように思います。

-現在の筑波大や学生たちへのメッセージを。

企業もまだまだですが、日本の学問や研究の世界は、特にダイバーシティが遅れていると思います。女性や外国人も少ないですし、支援が不十分で諦めてしまったり、他を犠牲にして頑張ったりと、働き方にも古い体質が残っています。リケジョが注目されていますが、どんな人や分野でも、なりたいと思えるようなロールモデルがいなければ後が続きません。簡単にはいかないでしょうが、このままでは国際的に遅れをとってしまいます。ダイバーシティは眉間にしわを寄せながらやることではありませんから、明るく楽しく変えていけるといいですね。
学生たちには、とにかくグローバルな視点を持つこと。内向き、安定志向ではこれからの社会を維持できません。若くてまだ心が柔らかいうちほど、異なる文化や環境を受け入れることができます。留学生と積極的に交流したり、留学でも旅行でも、言葉がわからなくても、怖がらずにどんどん国外に出て、自分たちの知らない世界が溢れていることを知ってもらいたい。そうすれば必ず何か気持ちが動くはずです。

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PROFILE

1965年 愛媛県生まれ
1988年 筑波大学第一学群社会学類卒業
同年日産自動車株式会社入社。法務室にて北米、アジア、国内の各種法務業務に従事。軽自動車の合弁会社設立やグローバル法務体制の構築等に携わる。2014年7月に株式会社ぐるなびに入社。管理本部ダイバーシティ推進室長、法務コンプライアンス室長を兼務。法務業務全般、並びにダイバーシティの推進役として女性のキャリア支援や多様な人材が活躍できる仕組みづくりに取り組んでいる。



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