ALUMNI

東 英樹氏

2021/06

東 英樹(ヒガシ ヒデキ)氏

1985年入学・1989年卒業 体育専門学群

[現在の職業(勤務先・役職等)]

株式会社バスケットボールジャパン・代表取締役社長  (旧株式会社日本バスケットボールリーグ)
一般社団法人バスケットボールジャパンアカデミー・代表理事(旧一般社団法人bjリーグアカデミー)
※日本初のプロバスケットボールリーグ「bj-league」の運営会社。B.LEAGUEが発足し社名を変更。
B.LEAGUE三遠ネオフェニックス・ジェネラルマネージャー

(1) 現在のお仕事を聞かせてください。

2005年に発足した日本初のプロバスケットボール「bj-league」のリーグ運営に関わり、2016年に全てのチームをB.LEAGUEに移籍させた後、運営会社の社長に就任しました。
リーグ運営という一つの役割を終えて、今は、新たに『世界最高峰のリーグで活躍する選手を育てる』という目標に向かって、3つの理念と5つのビジョンに沿って活動を継続しています。
筑波大学時代の恩師で前回の東京オリンピックのコーチであられた笠原成元先生から教えていただいた『プレゴールデンエイジ、ゴールデンエイジの普及・育成がそのスポーツにおいて最も大切にこと』を具現化するべく、民の立場で、自分が陣頭指揮をとり、その世代のカップ戦の開催、クラブ運営、スクール事業を展開しています。合わせてバスケットボール検定を開発し、個人のスキルの指標として、コーチやプレイヤーに活用してもらっています。
それ以外の仕事として、バスケットボールをスポーツビジネスという視点で捉え、バスケットボールにおけるあらゆる仕事に自らチャレンジし、今後バスケットボール界を背負って立つ若者の見本になるべく、大学のアドバイザーコーチやプロチームのゼネラルマネージャーも兼務しています。
世の中は『部活動』から『クラブ活動』に大きく舵を切ろうとしている中で、民の立場からバスケットボールの発展につながる仕事を引き続き継続していきたいと考えています。

(2) 今改めて、筑波大学で良かったと思うことを聞かせてください。

スポーツの発展という点で筑波大学の役割を考えて際に、日本のスポーツ界の発展は我が筑波大学が担っていると最近強く感じています。
日本初のプロバスケットボールリーグ『bj-league』は半ば金儲けだけの組織と言われていました。当然そういう目で見られていたリーグに行くことを、私の恩師である笠原成元先生からは当然のごとく叱られました。
それでも、敢えて飛び込んだのは、自分が筑波大学出身だったからです。
世の中はバブルが弾け、企業チームの休部・廃部が散見されました。
私が勤めた会社も男女ともバスケットボールが休部になり、自分自身もコーチをしていたので、その悲しみは計り知れないものでした。
そういう時代の中で生まれたのが『bj-league』であり、この成功が日本のバスケットボール界を変えるという思いで闘っていた時に助けてくれたのが、スポーツ界で活躍する筑波大学卒の方々でした。
教育の分野、スポーツビジネス界、メディア、オリンピックを支える機関で活躍する方々がいたから、全国に24チームのプロチームを立ち上げることでき、今では地方創生の一助として確固たる地位を築き上げるところまで来ています。
筑波大学時代に学んだことも企業に就職した後でも大変役に立ちましたが、日本のスポーツを発展させるために昼夜を厭わず頑張っている諸先輩方が数多くいることを学生に伝えたいです。
その人材こそが筑波大学の宝であり誇りだと思います。

(3) 本学と本学の学生に対してメッセージをお願いします。

平成という激動の時代を社会人として生きて来て思うことは、令和はAIの時代になると言われていますが、『人は力なり』ということを忘れてはいけないと感じています。筑波大学の学生に伝えたいことは、どんな時でも『人を育てるのは人間しか出来ないということ』を忘れないで欲しいです。
私は、『bj-league』の運営に携わるようになった時から今まで、何か物事を行う時に『忘己利他』ということを心に刻み仕事をして来ました。
結果としてその行動が自分を変え、会社の根幹であるリーグ運営が無くなっても今なお事業を継続出来ています。
『努力の上に花が咲く』言われますが、『天才は努力する者には勝てず 努力する者は楽しむ者に勝てない』ので、だからこそ『努力して楽しむこと』を忘れずに生きて行ってください。
一つお願いが。白いキャンパスに20年後の自分の姿を描いてみてください。
それが君たちの人生を変えることになりますので。

創基151年筑波大学開学50周年記念事業