思い込んで、のめり込んで
落語家
三遊亭 朝橘(さんゆうてい ちょうきつ)さん
-自然学類のご卒業ですよね。 落語とはだいぶ違いますが。
出身が静岡県沼津市で、小さい頃から、いつか東海大地震がくるとずっと言われていたし、富士山も近いので、地震や火山の災害を研究したいと思っていたんです。でも当時、地球科学を謳っていた大学は意外と少なくて、筑波大に進学しました。ところが3年生で専攻を選ぶ時になって、地震の研究なら東大だと言われちゃって...。それで、他を探したら、地球科学の中の人文地理学が面白そうに見えました。どちらかというと文系に近い分野ですが、性に合っていたと思います。
学生時代は真面目でしたよ。遅刻もせず、3年で必要な単位は全部取り終わって。2年生からはギター・マンドリン部でギターを弾いていました。ギターというとスペインが本場ですけど、南米も盛んで、ブラジル音楽にのめり込みました。ブラジル音楽は、いまでも好きでよく聞いています。
-学生時代は落語と無関係だった?
若気の至りというか、サークル活動の影響で音楽を仕事にしたいと思うようになって、就活をしないまま卒業してしまいました。その後、2年ほどつくばに残って、音楽の道を探ったんですけど、結局、沼津に戻りました。そしたら、別の大学に通っていた弟が卒論を書いていて、テーマが落語だったんです。漫才やコントなら分かりますけど、落語ってなんだと思って、ちょっと調べてみました。何も知らなかったので、図書館でCDを借りる時に、落語コーナーのうち、いちばんたくさんCDを出している人が第一人者だろうと選んだのが三遊亭圓生師匠でした。圓生師匠の音源を聴いて、表現としての落語の凄さに圧倒され、落語家になろうと決意しました。それなら圓生師の流れをくむ人に弟子入りしようと門を叩いたのが今の師匠、三遊亭圓橘です。
手紙を出したり、自宅に押しかけたりして、1年がかりでやっと弟子入りできました。師匠はなんとか諦めさせようとしたみたいですが、逆に気持ちが高まっちゃって。入門できないとは全く思っていなかったですね。両親も最後は、やりたいなら仕方ないと。
-上下関係の厳しい世界ですよね。修行はつらくありませんでしたか?
落語の稽古は口伝で、台本などは存在しません。目の前で師匠や兄弟子にやってもらってそれを録音します。何度も聴いて覚えたら今度はそれを師匠に聴いてもらい、これなら高座でやっても良いだろうとの許しを得て初めて持ちネタとなります。うちの師匠の稽古は特に厳しいことで有名で、初めての稽古は三遍稽古という、昔ながらのやり方でした。これは目の前で3回、同じ噺をやってもらうのですが録音させてもらえません。その場で見て聴いて覚えなければいけないのですが困ったことに3回とも少しずつ違う...。とにかく必死で覚えて聴いてもらいましたが、正座の仕方から始まって延々と注意されました。堅いフローリングに座布団も敷かずに正座したまま何時間も、血のにじむような稽古をつけてもらいました。今思えばそれも師匠の責任感の強さ故だと感謝してます。もう一回やりたいかというと絶対に嫌ですけど。他にも前座修行で辛いことは多々ありましたが、辞めたいと思ったことは一度もありません。
2017年に真打になりました。持ちネタは130ちょっとぐらいありますが、すぐにできるのは3つぐらいかな。寄席では、前の演者がやった噺と同種の噺はできないので、何をやるかをその場で決めます。だから後の出番の人ほど持ちネタが多くないといけない。真打になって初めて寄席でトリを取れるというのはそのためです。
-どんな落語家になりたいですか?
落語ってすごい、って思ってもらえるような高座ができるようにならないといけませんね。自分がかつて圓生師匠の音源でそう感じたように、初めて聴いた人にも落語の凄さ、面白さを分かってもらえる芸が出来る落語家になりたいです。
私の所属する五代目円楽一門会は落語協会や落語芸術協会といった団体に所属しておらず、五代目円楽師の門弟だけで活動しています。ですので、一門の中でだけ教わっているとみんな同じ芸風になってしまう。だから他派の師匠や講談・上方の師匠のところに積極的に出稽古に行くようにしています。おかげで、今じゃ師匠と全然違う芸風になってますが。以前、桂枝雀師匠が、落語は全身を使うスポーツだと言っていて、僕もそれはすごくいいなと思うんです。収まった感じではないスポーティーな落語をやりたい。明るく元気な雰囲気だけは失わずにいたいですね。
-筑波大で学ぶ後輩たちにメッセージを。
将来進むべき道って、早く見つけた方が良いといわれますけど、人にはそれぞれのタイミングがあって、然るべきターニングポイントはちゃんと巡ってくるものだと思います。もし、いろいろ迷っている人がいるとしたら、僕みたいに、卒業後何年もかかって、今、落語家になっている奴がいると知れば、気持ちも楽になるんじゃないかな。それに、つくばは僕のいた頃よりもずっと良い街になっています。もはや陸の孤島ではないので、ずっと充実した生活が送れるはずです。大学時代は、親から与えられた最後のボーナスステージみたいなもの。それを無駄にしないで欲しいです。あと、落語も聞いてくださいね!
PROFILE さんゆうてい ちょうきつ (本名 渡辺 勝也)
2001年 第一学群自然学類卒
2004年 六代目三遊亭圓橘に入門。「橘也(きつや)」と命名され、見習いとなる。
2005年 大師匠・五代目三遊亭円楽の許しを得、前座となる。
2017年 真打昇進、「朝橘(ちょうきつ)」と改名現在は、所属の五代目円楽一門会主催「両国寄席」をホームグラウンドに全国各地で公演。
関連リンク
TSUKUCOMM Vol.55