生物・環境

TSUKUBA FUTURE #121:微生物が形成する社会を科学する

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医学医療系 尾花 望 助教

 地球上のあらゆる場所に生息している生き物、それが細菌です。深海や高山、地中はもちろん、ヒトをはじめとした動物の体内にもさまざまな細菌がすんでいて、多様な環境に適応しています。そうした細菌の生存戦略として注目されているのが、バイオフィルムという形態です。ひとことで言うと、細菌の集合体のことで、虫歯の原因になる歯垢もバイオフィルムの一種です。その中には虫歯菌や歯周病などの細菌が集まっています。この他、キッチンのシンクや浴槽、排水管のぬめりなどもバイオフィルムです。また、ヒトの腸内細菌も、多くがバイオフィルムとなって存在していると考えられています。

 細菌といえば単細胞で、普段はバラバラに生活しているように思われがちですが、地球上の8割以上の微生物がバイオフィルムの状態で生息しているという研究もあります。近年の研究で、バイオフィルム内では、同一種の細菌であっても役割分担がなされ、外部の環境や抗生物質などに対する抵抗性を高めていることが分かってきました。アリやハチなどの社会性昆虫と同様に細菌もある種の社会を形成し、生き残りを図っているのです。

 尾花さんたちの研究チームは、食中毒の原因となる細菌の一種「ウェルシュ菌」が周囲の温度に応じて、異なるバイオフィルムを形成することを突き止めました。

 ヒトの体内に生息する細菌は一般に、宿主であるヒトの体内温度(約37度)に応答して活動を調節していることが知られています。しかし、ウェルシュ菌の場合、ヒトの体温よりも低い約25度で生育した場合に限り、弾力性の高い膜状のバイオフィルムを形成することが分かりました。一方、約37度で生育した場合は、集団を形成するものの、弾力性のある膜は形成されません。その代わり、物質の表面に付着する力は25度で培養した細胞よりも高くなっていました。尾花さんたちはウェルシュ菌が弾力性あるバイオフィルムを形成するために必要な遺伝子も発見し、この遺伝子がコードするタンパク質をBsaAと名付けました。BsaAはウェルシュ菌の細胞の外部に放出されると、プラスチックのようにポリマー化して細胞を包み込み、界面活性剤や強酸にさらしても壊れないようになります。

 ウェルシュ菌は大気レベルの酸素に触れると死滅してしまう「偏性嫌気性細菌」です。しかし、BsaAポリマーに覆われると、周辺に酸素があってもなかなか死滅せず、抗生物質(ペニシリン)に対する抵抗力も高まりました。さらに面白いことに、BsaAポリマー内のウェルシュ菌はBsaAを産生する細胞と産生しない細胞に分かれており、BsaA産生細胞は非産生細胞の上部を覆うように存在していました。

 宿主の体外に排出されたウェルシュ菌は、体温より低い温度を感知してBsaAポリマーを産生し、外部環境から身を守る。その一方で、BsaA非産生細胞が物質表面に張り付く役割を果たす。細胞のこのような分業が、宿主外における、ウェルシュ菌の生存戦略だったのです。嫌気性の腸内細菌が宿主の外でどのように生存するのか、その一端がこの研究で明らかになりました。腸内細菌の生存戦略やバイオフィルムの形成メカニズムの解明が進めば、腸内細菌が関わる病気の予防や治療につながることが期待されます。

尾花望助教

学生たちには「実験に失敗したと言わず、出た結果の理由を考える。それが新発見につながる」とよく話す。ウェルシュ菌の研究も、培養温度の設定ミスが出発点だった。

 尾花さんを中心とした国際研究チームは今年3月、腸内細菌に関する新しい知見を発表しました。注目したのは、抗菌薬が効きにくい「ディフィシル菌」という細菌でした。

 ヒトの腸の中には、さまざまな細菌がバランスを取りながら生息しています。しかし、抗菌薬を服用したりすると、そのバランスが崩れ、抗菌薬に強い菌だけが異常に増殖することがあります。その典型例の一つが、ディフィシル菌が異常に増殖し、下痢などの症状を発症する「ディフィシル感染症」(CDI)です。研究チームはさまざまな細菌のゲノム情報をコンピューターで解析し、ディフィシル菌を含む幅広い腸内常在細菌が、抗菌薬への耐性に関係する「ARE-ABCF遺伝子」を持っていることを突き止めました。


尾花望助教

嫌気性細菌の培養は無酸素ケースの中で行う

 更に、ディフィシル菌が保有するARE-ABCF遺伝子(cplR)には、リンコサミド系とプレウロムチリン系の抗菌薬に対する耐性を付与する働きがあることも明らかにしました。これらの抗菌薬は、細胞内のタンパク質合成装置である「リボソーム」に結合し、タンパク質の合成を阻害することで細菌の生育を抑制します。ところが、ディフィシル菌の場合、リボソームに抗菌薬が結合していると、cplRが発現し、リボソームから抗菌薬を解離する働きをすることが分かりました。

 今回の解析では、cplRはウェルシュ菌や高病原性のボツリヌス菌などでも保存されていることも明らかになりました。その働きの解明が更に進めば、CDIの予防・治療法開発はもちろん、新たな薬剤耐性菌の出現対策にも貢献するに違いありません。

 尾花さんは幼い頃から生き物が好きで、筑波大生物学類に進学。大学院では、遺伝子の働きを調節するメカニズムに注目して研究に取り組みました。博士課程修了後に所属した研究室で、微生物も「社会」を形成することを知って感動し、研究の幅を広げて来ました。「地球上の誰も知らないことを、最初に知ることができる。それが、研究の醍醐味であり、楽しみでもある」と言います。腸内細菌と免疫の関係など、研究対象を更に広げる尾花さんの今後の成果が待たれます。


(文責:広報局 サイエンスコミュニケーター)


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