社会・文化

TSUKUBA FUTURE #010:考古科学のこだわり

タイトル画像

人文社会系 谷口 陽子 准教授


 2008年3月、世界の絵画史・美術史関係者の間に衝撃が走りました。それまで、油絵技法発祥の地はヨーロッパと信じられていました。ところがその栄誉が取り消され、真の発祥の地はアジアである可能性が高まったのです。しかも油絵で描かれた題材はキリスト教絵画ではなく仏教絵画だった可能性が高いという二重のショック付きで。


 巨大な大仏の石像で有名だったアフガニスタンのバーミヤーン仏教遺跡は、イスラーム原理主義勢力タリバーンの手によってその大半が破壊されました。この遺跡では、極彩色の仏教壁画も有名でしたが、その80%余りが破壊されました。破壊された遺跡の保存修復事業は、ユネスコの主導で2003年から開始されました。谷口さんは、東京文化財研究所の一員としてその事業に途中から参加しました。谷口さんの担当は壁画の保存修復。効果的な保存修復の方法を決定するためには、もともとの壁画が作成されたときの材料と技法を知る必要があります。壁画を傷めずに表面の汚れを洗浄するためにも、その情報は必須です。


研究室には様々な顔料の試料が保存されている。

研究室には様々な顔料の試料が保存されている。


 谷口さんは、およそ50の石窟壁画から採取した300点余りの微小な試料(破片)に対して、様々な分析を実施しました。その結果、ある一群の壁画には、クルミ油あるいはケシ油が用いられていることがわかりました。顔料を固定する材料(膠着材)として乾性(空気にさらされると固まる性質)の油が用いられている絵具で描かれた絵画を「油絵」と定義するとしましょう。だとしたら、バーミヤーン壁画は「油絵」だったことになります。破壊された大仏周辺の練土壁の破片からは、ワラの残骸や木片、縄などが見つかります。そうした有機材料を基に放射性炭素年代測定を実施した結果から、バーミヤーン大仏の制作年代は5~7世紀、壁画群の制作年代は5~10世紀であることがわかっています。その中で、油絵と判定された壁画の制作年代は7~9世紀でした。それまで知られていた、乾性油を膠着材として用いた最古の絵は、スウェーデンのゴットランド島にある教会のキリスト磔刑木彫像の彩色で、12世紀末のものとされていました。つまり油絵の起源が一気に5世紀近く遡り、しかもヨーロッパからオリエントに移ってしまったのです。この発見は、アメリカ考古学研究所が発行する雑誌『アルケオロジー』が選ぶ「2008年の考古学10大発見」の1つに選定されました。


JICAが実施した博物館保存修復センタープロジェクトに講師として参加。 
研修生が作成した彩色レプリカ試料について説明をしているところ。

JICAが実施した大エジプト博物館保存修復センタープロジェクトに講師として参加。
研修生が作成した彩色レプリカ試料について説明をしているところ。


 谷口さんは筑波大学人文学類を卒業し、東京芸術大学大学院で文化財保存科学を学びました。内外のいくつかの研究所を経て、筑波大学に着任したのは2008年の4月。そもそもの興味の出発点は、縄文土器にあったといいます。縄文美術の多様さ、妖艶さに魅せられたのだそうです。縄文時代にはすでに、鉄バクテリアを利用して人工的に作った赤色が使われており、思いのほか艶やかな文化がありました。当時すでに、その土地や地質にあった素材はもちろんのこと、交易などで持ち込まれたものも利用されています。そうした素材の化学的な組成がわかれば、当時の文化や技術レベル、生活様式まで推察することができます。そしてさらには、日本人とその土俗文化はどこから来たのかという根源的な疑問を探ることまで。


Spring-8の装置を使い、シリアの青色ビーズのX線吸収微細構造解析を実施しているところ。

Spring-8の装置を使い、
シリアの青色ビーズのX線吸収微細構造解析を実施しているところ。


 研究には、放射性年代測定はもちろん、Spring-8などの放射光施設、電子顕微鏡ほか、最先端の分析手法を駆使しています。谷口さんはまた、エジプトなどの古代彩色文化財の保存修復技術の普及にも努めています。アフガニスタン、インド、エジプト、中国、キューバ、シリアなど、さまざまな国、地域でフィールド調査を実施してきた経験と、総合大学である筑波大学の利点を活かし、これからもさまざまな地域の人々、研究者との共同研究を進めてゆく予定です。


文責:広報室 サイエンスコミュニケーター


関連リンク

・谷口 陽子

・人文社会系


創基151年筑波大学開学50周年記念事業