社会・文化

TSUKUBA FUTURE #122:生きてこられた幸運を社会に還元したい

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人文社会系 松島 みどり 准教授

 コロナ禍では、世界中で人々の孤立やメンタルヘルスの悪化が問題となりました。日本でも感染拡大が始まった2020年に自殺者数が11年ぶりに増加に転じ、減少の兆しはみられていません。その背景には何があるのでしょうか。

 松島さんの専門は国際公共政策。現実世界の問題を統計的な手法で解析する応用計量経済学を用い、人々の心身の健康や幸福(ウェルビーイング)に公共政策や社会システムがどのように影響しているのか、なんらかの介入により人々のウェルビーイングが向上するのかなどについて研究しています。

 今年5月には、2.6万人規模の全国アンケート(JACSIS調査)のデータを利用した分析結果を公表しました。医学医療系の太刀川弘和教授らとの共同研究で、死にたい気持ち(自殺念慮)には、経済的な苦境や社会的孤立よりも、孤独感が強く影響することを明らかにしました。また、特に女性の場合は、コロナ禍で急激に悪化した孤独感が自殺念慮の発症に最も強く影響していることが分かりました。

 孤独感は主観的なもので、社会的孤立(社会的ネットワークから切り離されている客観的な状態)とは異なります。しかし、社会的孤立が孤独感をもたらすこともあり、自殺念慮にどちらがより強く影響するのかは分かっていませんでした。

 松島さんは「自殺への孤独感の影響はコロナ禍で顕著になっただけで、今までも恐らくそうだったと考えられる。コロナ危機がwake-up call(目覚まし)となり、自殺対策では、物理的な孤立・孤独対策に加え、孤独感を抱いている人々への心理的なサポートが欠かせないことがより明確になった」と指摘します。

松島准教授
学生たちとの論文輪読会。「論文に示された数値をうのみにせず、それが出てきた過程をつかむことが大事だ」と学生にはよく話す。

 松島さんが今、気になっているのが健康格差の世代間継承と、それが個人の責任ではなく社会状況によるものであるということです。昨年2月に公表した論文では、カンボジアの統計資料を解析し、カンボジア内戦で大虐殺を行ったクメール・ルージュ政権(1975~79年)当時に生まれた女性は、自身が出産する際に低体重児を産むリスクが高かったことを明らかにしました。出生時の栄養不足などの悪影響が、世代を越えて伝わるのです。「ウクライナをはじめ、紛争は今も絶えない。せめて産まれる時ぐらい、格差をなくしたい。できることは多いはず」と松島さんは言います。

 では、コロナ禍で日本の妊産婦はどのような影響を受けたのでしょうか。松島さんたちは2020年5月から21年2月にかけて計3回、妊娠・出産・育児情報などを提供する企業のサービスを受けている妊産婦にウェブ経由でアンケートを送り、回答を依頼しました。

 いずれの調査でも、抑うつ状態にあると考えられる妊産婦が3割前後に達し、コロナ禍前に比べて倍増していました。回答の分析から、うつ傾向の高まりの背景には、経済的な要因に加え、子どもを公共空間に連れて行くことに対する批判経験などがあると分かりました。

 松島さんは「コロナ禍で妊産婦のメンタルヘルスを悪化させたのは、感染への恐怖よりも、人との接触を控えるべきという政策や人々の過剰な意識で生じた、人とのつながりの弱体化だった」と分析しています。

 松島さんはJACSIS調査を用い、妊娠の意思がある女性(18~50歳)のデータも分析しました。京都大学大学院医学研究科の近藤尚己教授をはじめとした他大学、他分野の研究者との共同研究です。約2割の女性がコロナ禍で妊娠を先延ばししていました。その要因としては、コロナ感染への不安よりも、コロナ危機がもたらした経済の悪化および、悪化が今後も継続するのではないかという将来の家計への不安の方が大きいことが分かりました。今後の少子化対策にとっても参考になるデータと言えます。

松島准教授
筑波山を望む研究室で。トレイルランニングにも挑戦している。

 松島さんの研究活動はこのように、他分野の研究者との共同研究や、民間企業・NGOとの共同研究、社会実装に積極的なことが特色です。現代社会が直面する社会課題の解決は、一つの学問分野のみ、アカデミアのみではできないと考えているからです。

 こうした活動を支えているのが「今まで生きてこられた幸運を社会に還元したい」という思いです。原点は、父親の仕事の関係で小学校低学年時代を過ごしたエジプト・カイロでの体験です。現地にはストリートチルドレンも多く、「将来は国際機関に勤務して、そんな子どもたちを助けたい」と願うようになりました。日本の高校卒業後は英イーストアングリア大学(UEA)に進み、開発学を学びます。

 UEA時代には、インドの孤児院でインターンとして働き、障害のある赤ちゃんのサポートなども体験しました。大学卒業後はカンボジアとラオスで医療支援に取り組む日本のNGOのプロジェクトマネージャーに就任します。そして、支援活動に携わる中で「現地の人々がやりたいと考えていることを、実現できるようにしたい。そのためには、現地で活躍する高度人材の育成が重要だ」と思うようになりました。

 その第一歩として、学び直しを決意し、大阪大学大学院に進学。2015年に国際公共政策で学位を取得しました。筑波大学着任は2019年4月。学んだことを母国に還元しようと考える留学生が多いことも、筑波大学の魅力の一つだったといいます。自身が指導する大学院生の中にはバングラデシュ、パキスタン、モンゴルの学生もいます。

 松島さんの視線は、日本の公共政策にも向けられています。「日本では、政策の検証がなされないまま物事が進んでいくことが多い。政策の功罪を明らかにし、人々のウェルビーイングにつなげたい」。松島さんの願いです。


(文責:広報局 サイエンスコミュニケーター)

*日本におけるCOVID-19問題による社会・健康格差評価研究(代表:大阪国際がんセンター・田淵貴大氏)

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