CHANGEMAKERS #06 ダウン症の子どもたちの優れた面を引き出す 宮本 昌子 教授(人間系)
言語聴覚療法という専門分野をとおして
「言語障害」に隠れたダウン症の子どもたちの強みを引き出す
コミュニケーション支援にもつながる演技指導とは
筑波大学 人間系
宮本 昌子(みやもと しょうこ) 教授
PROFILE
島根県出身。筑波大学第二学群日本語・日本文化学類卒業。
筑波大学大学院教育学研究科修了後、旭川肢体不自由児療育センター訓練課にて勤務。
その後、筑波大学大学院教育学研究科博士課程、広島大学大学院教育研究科博士後期課程を経て福山平成大学、目白大学で言語聴覚士などの養成を行う。
2015年4月より筑波大学人間系着任。博士(教育学)、博士(障害科学)。 言語聴覚士。臨床発達心理士。
主な作品
『クラタリング:特徴・診断・治療の最新知見』(学苑社)
『子どもの脳の多様性に応じた言語・コミュニケーションの指導・支援』(金子書房)※2024年12月発売予定
近年、障害の有無に関わらず、あらゆる人がいきいきとした人生を送れるインクルーシブな社会を作ろうという動きが大きくなっています。そんな中、言語障害を持つ人を対象にした指導・支援・研究を専門とする宮本昌子教授は、舞台で演じることを希望するダウン症の子どもたちに発声などを指導するワークショップを始めました。本欄CHANGEMAKERS#002 に登場した脚本家・演出家・小説家の藤井 清美 さんと一緒に行うこの活動は、どんなものなのか? 「筑波大学ほど、あらゆる障害で専門の教員がいるところは世界でも珍しいのではないか...」そう語る宮本さん、自身が率いる障害科学類とはどんなところなのかについても、お話を伺いました。
前回、このホームページに藤井先生のことが載っていたのを拝見しまして。そして、同僚の先生から藤井先生を紹介してもらって、見学に行ったんですね。
その時に演劇の指導の場面を見て、すごいなって思ったんです。
その時は私は学類長として行った側面が多くて、藤井先生と協働しながら、学類生も参加して、 何かできればいいなと思う気持ちで行ったんです。でも、実際行ってみたら、藤井先生と結構、意気投合しまして!
同年代で、同じ時期にキャンパスにいたんだねっていう話にもなってお互いの専門の話をしているうちに、ダウン症のお子さんは、せっかくいい演技をしたり、オーディションの機会があって現場に行っても、 発音がはっきりしないと言うことで、残念なことになることが多いということを聞いたんです。
じゃあ、なんとか私の専門の言語聴覚療法とコラボして、 そこを乗り切ることができないですかねって言って、2人でテンションが上がって、で、もう、すぐやろうって言うことになり、オーディションがもう1ヶ月後ぐらいみたいな感じで、とんとん拍子に始まりました。
藤井先生から聞いたところによると、もう次に別のレッスンで(お子さんたちに)会った時に、 みんながすごいテンションで話しかけてくるようになったそうです。
あと、親御さんの期待がすごく高い。
やっぱり (ダウン症の)療育が、仕組みとして小さな頃しか受けられないと言うのがあって。でも、(大きくなっても)まだコミュニケーション上の悩みは残っているわけで、そこを支援してもらえると言うことですごく親御さんの期待が高くて、「もう少し聞き取りやすい発話になるんだったら」って言うことですね。
発声練習だけではなくて、私が1番してほしいと思ってることは、ダウン症の方はついつい早口になりがちなんですね。それが自分の発声、発動の能力を超えた速さなので、 気持ちゆっくりめにセリフを言ってくれると、だいぶ伝わりやすくなるんです。
それをやるために、今、これ、藤井先生と一緒に人間フィールドワークという授業にもしてるんですが、そこを受講してる学生さんたちが、 宇宙遊泳をするような動画とか、ゆっくりを促すような動画、子供たちが見てもわかるような動画を探してきて、それを見ながら、ゆっくり言うという指導をやっているところです。
私たちもそうなんですけど、あんまりゆっくりしてって言われても、ゆっくりできないんですよね。
研究でまだ完全には明らかにはされてませんけど、1つは聴覚的なフィードバックが弱い。あまり自分の話し言葉を脳にフィードバックしないで、思いついたままに喋っているという感じです。私たちもそれがなければ、もしかしたらもっとバラバラで好きな速さの話し方になるかもしれないんですけど、一応聴覚的にフィードバックをしているので、そんなに早くなりすぎないんです。つまり、相手を意識した速度にちょっと落としたりしてるんです。でも、ダウン症のお子さんなどは、相手の理解に合わせて自分の発話をゆっくりにするというところが、ちょっとうまくいかないって言いましょうか。
まずはとにかくゆっくり話すことで、少し改善されるかなって思ってるところです。
それはわかっている専門家や教師は多いと思うんですけど、でも、障害の特性上、なかなか「ゆっくりにしてね」っていう指示が通りにくいし、それをやれる方法があまりないんです。例えば、メトロノームを使ったりとかするんですけど、メトロノームがなくなったらやっぱり戻ってしまったとか。
だけど、演劇では、もしかしたらそれができるかもしれないっていうところが藤井先生の中にもあるんです。もっと体でやっていく必要があるかなっていうところです。
また、今は障害の領域では発達障害などについてはメディアも取り上げることが多いのですが、 ダウン症とか脳性麻痺などの障害の研究がちょっと取り残されてきている感じはしています。
9月から1月までの計6回です。
先ほど言語聴覚療法とおっしゃっていましたが、あらためて簡単に説明していただけますか。
元々、言語聴覚療法は、脳梗塞とか脳血管障害の後遺症の失語症 とか高次脳機能障害、あとは、今話題の嚥下障害が対象なんですが、私の専門分野は小児で、自閉症とかダウン症とか脳性まひのお子さん、そして、後でお話しする吃音とか早口言語症などのお子さんの発話や言語の指導、支援をやっています。
大学院からです。
まずは筑波大学の教育研究科に入りました。 元々は、私は、日本語・日本文化学類なので、全然違うことをやっていたのですが、 入ってから、同じ宿舎に、人間学群の友達が居て、その子たちの取ってる授業が自分にとっては魅力的で、障害者心理学とかを、ちょこちょこ取ってたんですよ。
そうすると、自分は国語の先生になるつもりだったんですけど、 興味がそちらの方に行ってしまったんです。
言語学などもやってたので、言語障害と言うことで繋がりはありましたけれども、人間学類の大学院は、懐が深いっていうか、いろんな専門の人を受け入れて助けてくれて、それでなんとか勉強もついていけるようになったんです。
筑波大学って大学院から(専攻が)変わっても、なんとかなる、なんとかついていけるんですよ。最初は大変なんですが。
はい、その時は、言語聴覚士はまだ国家資格じゃなくて、言語療法士っていう名前でした。私はその走りの頃の人間で、まだあんまり誰もやってない職業だから、ちょっとやってみたいなっていうのもあったんです。
でも、就職先が、あまり関東とか本州にはありませんでした。特に子供を対象にやりたいっていうとないんです。それで私は旭川にある北海道立の肢体不自由児の施設に就職することになりました。
そこで4年間ほど言語療法士として働きました。利尻とか礼文も全部管轄だったんですけど、巡回して障害のある子供に会う仕事です。
先生は、島根県のご出身ですが、島根から筑波大学に行こうと思ったのはどうしてなんですか?
それは、私の国語の先生が筑波大学の出身だったからです。(島根県には)滅多にいなくて大体、島根大学とか広島大学出身の先生なんです。その方は、一風変わってらっしゃったっていうか、他の先生と違って、すごく自由な感じの若い先生でした。その先生みたいになりたいなって思ったんですよね。
その先生から色々情報をもらいまして、国語の先生と筑波大学ってことで、筑波の日本語・日本文化学類を目指したんです。
ほとんど全員寮に入ってました。私は一の矢宿舎にはいりました。一番北の方で周りに何もなかったです。
みんな家族みたいでしたよね。生活を共にしてました。お風呂も、みんな一緒に入るんですよね。ご飯も一緒に食べて、 勉強もみんなで一緒にして、四六時中一緒に居て、「筑波タイム」でしたね。
一晩中起きてるみたいな(笑)行っても帰るっていう概念がないので、その友達の部屋にずっとみんないるんです。
私も就職のことも考えていました。幅広く就職活動はしたんですけど、あまり入りたいと思うところがなくて、それほど一生懸命就職活動もしてなかったんです。だから、多分、頭のどこかに大学院に行きたいというのはちょっとあったと思います。
これも日日(日本語・日本文化学類)の先輩で障害児教育の専攻に行かれた方がいたんですよね。で、その先輩に話を聞いて、じゃあ私も行こうっていう、本当に軽いノリでした。若かったので。 ただ、日日の後輩にもそういうことをした人が結構いるんです。今も授業やってると、 「私も先生みたいに日日から来たんです」という子もいて。筑波大学ならではというか、割と横に行きやすいんですよね。
心理学とか医学とか教育学のような、オーソドックスなアカデミアではないですよね。
本当に新しい複合領域です。
障害科学、英語ではディスアビリティサイエンスって言うんですけど、それを謳っている学部っていうのは多分世界に、他にはないです。
特別支援教育学科などはあるんですけど、障害科学っていうのはないんです。
じゃあ実際何やってるかというと、教育だけじゃなくて、福祉もありますし、政策提言するような研究をやる人もいるし、 脳科学に近いことをやる人もいるし、実はみんなやっていることはバラバラです。脳科学も生理学的な研究をやる人はいて、私の研究室にもそういう学生がいます。神経心理学的な研究でかなり基礎的な、例えば障害の発生メカニズムみたいなことを考える人もいれば、障害啓発に関わる問題やる人もいれば、特別支援教育やる人もいたりと、みんないろいろなことをやっています。38人の教員がいます。
筑波大学ほど、肢体不自由、病弱とか視覚障害とか、ほとんど全部の障害の専門の先生が揃ってる大学は日本には多分ないですし、世界でも珍しいかもしれないです。
私は珍しい領域をやってまして、クラタリング、早口言語症という障害の専門家なんです。
多分、日本では本格的にこの分野をやった最初の研究者です。(クラタリングは)学生の時に指導教員が私にくれたお題だったんですけれども、それを一からやってきたことが、私の研究と臨床の1番の核になるものです。
これは、吃音の親戚みたいな障害で、簡単に言うと、早口すぎて何言ってるかわからないような、ちょっと空回りしてるみたいな喋り方なんですけど、 今まではこの障害が吃音障害に含まれていたんですよね。でも本当はそこを鑑別診断する必要があって、欧米ではもうそれが行われていたんです。
それで、実際に欧米でそういう患者さんを見たり、診断チェックリストを日本語に訳したり、日本の耳鼻咽喉科の先生たちも含めた専門家にもわかってもらえるように教科書を翻訳したりというのが、私の仕事なんです。
この早口言語症の喋り方が、ダウン症の人の話し方にも生じているというのが研究領域では言われていまして、そのことを藤井先生に話したわけなんです。
だから、滑舌だけやってても良くならないし、発声の練習とか、運動的な練習だけやってても、多分難しいよ、と。このクラタリングの概念で、言語的な組み立ての仕方からやっていかないと話し方はなかなか治りませんよ、みたいなことを言ったところから始まったんです。
はい。日本での診断方法の確立と支援の方法です。
大きな目標と、それからもう少し現実的な目標と2つあります。
大きな目標で言うと、 言語障害というよりちょっと大きな障害科学の枠で考えた時に、今まで日向ではなく影に隠れていた障害のある子どもたち・・・演劇と言ってもなかなか前にセリフをもらって前に出られないような人たちが表に出る。しかも、すごく魅力的な形で。「頑張ってるね、偉いね」ではなくて、 藤井先生がやってる演技指導は本格派で本当にプロの俳優さんと同じような迫真の演技をしますので、そういうことで、世間にリスペクトを勝ち取ってほしいっていうことを一番に考えています。そのことで、ダウン症とか自閉症の人が優れた能力を発揮する場合もあることを、社会にアピールする手伝いをしたいというのが1つ。
もう1つ、もうちょっと現実的なところで言うと、私が関わっている言語障害の現場で、演劇の台本を使ったプログラムを使って特別支援学校とか特別支援教室の先生たちが演劇的な指導を取り入れながら言語指導ができるようなパッケージを作ったり、そういう著書をどんどん出して広めたいね、と藤井先生とも話しているんです。
特別支援学校や、あとは、言葉の教室と言って普通の小学校にある通級指導教室でも使ってもらいたいです。
やっぱり1つは、希望を失わないってことだと思うんですよね。で、 子どもさんたちはいろんな希望を持って、これもしたい、あれもしたい、こうなりたいっていうのはあると思うんですけれども、 ご両親、やっぱり保護者の方がものすごく現実を分かっていて、安全な方、安全な方っていうのを選ばれているところもあるのかなと思います。
やっぱり、ダウン症のお子さんは繊細な方も多いので、元気なところをくしゅっと折られてしまってるようなところもあるのかな。外から見てるとそう見えるんですけど、親御さんたちはやっぱり一生懸命子育てしてらっしゃるので、安全な方へ安全な方へと行かれてるっていうことですよね。
でも、もうちょっと勇気を持って、人生1回なのでチャレンジして、 子供の可能性を信じて、1つやっぱり難しいことにチャレンジするっていうんですかね。 多分これは無理だろうからこっちを選ぶっていうような従来のありがちな選択じゃなくて。
大学にも行けるかもしれない、俳優になれるかもしれない・・・そういう希望を捨てないでほしいなと思ってます。
筑波は土地的にも、地の利的にもちょっと隔離されているので、それが就職のためには不利になるっていう場合もあるかなと私は思ってたんですけど。
でも、意外と隔離されたところで、人間関係を築いたりとか、色々な刺激がないところでものを考えたりして、筑波大生は独特な感じに仕上がっていくのかなっていう風に思うんですよね。
それこそ研究にしても本当に雑音に邪魔されず、独特のものを作り出すのに適した、つまり、 簡単に言うと、研究に打ち込める土地ですね。
そうですね。この間、理工系の先生からお話があって、その先生は吃音のある人を癒すようなロボットを作りたいっていうようなことをおっしゃってまして。でも、先生は吃音という障害を極めているわけではないので、それについて話を聞きに来られたんです。一緒に研究できたらいいですねっていうような話になったりしたことがあるので、まさに学際性ですよね。
筑波大では、私の先生も気軽に外国人の先生を呼んでまして、私もそこで繋がりができて、かなり外国に行かせてもらってるんですね。こういうクラタリングの研究ができたのも、そういう繋がりでできました。日本の代表として流暢性障害学会の理事もやらせてもらっています。
本当に筑波大学は海外からの先生を呼びやすい環境で、「トビタテ!」(トビタテ!留学JAPAN新・日本代表プログラム)もあるし、「はばたけ!」(はばたけ!筑大生)もあるし、学生が海外に行く機会が多くありますね。
私が教えていた学類生の中に、大学院に行ってからですけど、トビタテで、ホスピタルクラウンをやりにニューヨークに行った学生もいて、その後、特別支援学校の先生になりました。
なかなか大学院のうちに、海外に気軽に行って職業体験とかそんなに他の大学ではできることではないかなと思います。筑波大学は、都会からはちょっと隔離されてますけど、海外との距離は近いですね。
[聞き手 広報局次長 髙井孝彰]