社会・文化

TSUKUBA FUTURE #037:探求の共同体としての大学----そのための哲学

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人文社会系 津崎 良典 助教


 今この机の上にあるペットボトルの中身が「水」であると誰もが思うのはなぜか? 無色透明だからといって「水」だとは限らない。しかし、大学教員が研究室で昼日中に口にするとしたら、「酒」ではありえない、と考えるのがふつうだからなのでしょうか。誰もが当たり前と思うことはなぜ「当たり前」なのかを問うこと。それを明らかにするのが哲学だと、津崎さんは語ります。 本を見て、それを「本」と思う場合も同じ。これは「本」だと思わされているが、私たちはそう思わされていることに気づいていない。私たちが何かを考え、何かを言葉にし、何かの行動をとるとき、そこには何らかの定型があるといいます。特定の誰かから命じられたわけではない匿名的なものの見方、経験する以前から仕込まれている時間先行的なものの見方、この二重の原理に、私たちの思考は無意識のうちに強制されているのだそうです。


人はこれをなぜ、本だと思うのか、水だと思うのか。

人はこれをなぜ、本だと思うのか、水だと思うのか。


 逆に、そういう状態を自覚し、先回りしている思考の枠を見抜けば、知的な自由を手に入れることができます。匿名的、時間先行的な強制力を見抜く仕掛けが「批判(クリティクス)」です。クリティクスの語源はギリシア語のクリネイン(区別する)。現在を批判的に眺めるための訓練、現在と過去を対象化するための訓練が、哲学をするということなのだそうです。


 フランス哲学が専門の津崎さんは先ごろ、12世紀から20世紀に至る日本哲学史において重要な思想家の一次資料をフランス語に翻訳した本の編集・翻訳にあたりました。その中で、戸坂潤という哲学者を担当しました。1900年に生を受け、太平洋戦争終結直前に獄死した唯物論哲学者です。戸坂は、報国思想一色に染まった当時の時代性、社会通念を疑い、徹底的に批判しました。否定ではなく、批判することこそが哲学の使命。戸坂は、哲学の祖ソクラテスに通じる真の哲学者だったと、津崎さんは高く評価します。上記の本は日本の「哲学者」を紹介し、フランスで高い評価を受けています。


 元来、フランス哲学と日本の伝統思想は相性が良いといいます。日常生活に寄り添い、感性を研ぎ澄ませて色合いを選り分けて丁寧に記述していく繊細な精神がフランス哲学の特徴。1920年代にフランスに留学した哲学者、九鬼周造は、ベルクソンやサルトルと親交を結び、江戸の粋を伝え、その感性のあり様に共感を得たといいます。そして帰国後は自ら『「いき」の構造』を上梓しました。


 哲学書の原典を徹底的に読む込むことで先哲の思索を追体験するのも哲学の重要な方法です。しかしソクラテスが創始した哲学の基本は対話です。対話を通すことで社会を俯瞰的に見ることができます。社会から遊離しないためには、対話を成立させなければなりません。「哲学」を学ぶことはできませんが、哲学することは学べます。いったん哲学することを覚えたら、自転車の乗り方と同じで、一生続けられます。それを学ぶ最良の方法も対話です。津崎さんは、筑波大学大学院人文社会科学研究科哲学・思想専攻の他の教員といっしょに哲学カフェ「ソクラテス・サンバ・カフェ」を実施しています。誰もが一生に一度、できれば若いときに哲学することを学ぶ機会をもってほしいという思いからです。


高校生のとき、哲学する楽しさに目覚めた。

高校生のとき、哲学する楽しさに目覚めた。


 哲学者は、社会に拘束されてはならない、さりとて遊離してもならない。共同作業の中でこそ、哲学は実践できる。それは学問の共同性にもつながるといいます。そしてそれこそまさに、筑波大学の創立理念である学際性と同義です。哲学を意味するフィロソフィーの原義は「知を愛する」という意味。当初それは、希哲学と訳されたといいます。「知をのぞむ学問」という意味です。そこから「希」が抜け落ちたことで、日本における哲学の受容は、堅苦しくて生活とは無縁というイメージを負わされることになったのかもしれません。このイメージを払拭するために、哲学者は街に出なければならない。 哲学する場、知を愛し、知を探求するための共同体、それこそが大学のあるべき姿だというのが、津崎さんの持論です。


2014年度優秀教員(ベストファカルティ)として表彰された。

2014年度優秀教員(ベストファカルティ)として表彰された。


文責:広報室 サイエンスコミュニケーター


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