社会・文化

CHANGEMAKERS #10 「とにかく動くことが重要」無理だと言われたアフリカでの起業。ビジネスの力で社会課題の解決に挑む 武藤 康平 さん

#010

「とにかく動くことが重要」
無理だと言われたアフリカでの起業。ビジネスの力で社会課題の解決に挑む

武藤康平さん

株式会社Double Feather Partners
CEO(最高経営責任者)
武藤 康平(むとう こうへい) さん

PROFILE

2013年筑波大学卒業。

外資系投資銀行と国際機関に勤務後、2017年にルワンダに移住し株式会社Double Feather Partnersを設立。

これまでに100社を超える現地スタートアップや30社以上の日系企業の市場進出をサポートし、ケニアなど複数国のスタートアップに出資。社会課題の解決と財務的リターンの両立を追求しつつ、持続的にスタートアップを支援する枠組みの構築に尽力している。

 ビジネスの力でアフリカの複雑な社会課題の解決に挑戦し続けている武藤康平さん。新しいアイデアで社会に貢献しようとチャレンジする現地スタートアップが継続して事業を続けられるために、世界中から資金を集め出資したり、アフリカに進出する日系企業に戦略をアドバイスをするなど、日本とアフリカの架け橋となって活躍されています。学生の頃から世界に目を向けていた武藤さんに、筑波大学で学んだことや、現在の活動についてうかがいました。

日本とアフリカの課題を同時に解決するビジネスモデルを

Q 武藤さんは現在、株式会社Double Feather Partnersの代表取締役をされています。事業内容を簡単にご紹介いただけますか。

 アフリカにおける社会課題の解決を、ビジネスと金融の手段を用いて追求している会社です。具体的には、コンサルティングとベンチャー投資を行っていて、この2つの側面から社会課題解決型の起業家やスタートアップ企業を支援しています。ここ3、4年は現地政府の政策支援や国連機関などと事業連携の機会もあり、クライアントの層は民間だけでなくパブリックセクターにも徐々に拡大しつつあります。現在規模としては従業員10名とアドバイザリーコミッティ4名の少数精鋭体制で運営しており、ベンチャー投資ではこれまでに7件の投資実績があります。今後2年間でプラス20件の投資を目標としており、投資総額は予定しているプロジェクトを含めると20億円を超える見込みです。コンサルティングでは、アフリカ企業100社、日本企業30社以上の支援実績があります。

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(Double Feather Partnersが出資した筑波大発スタートアップ
株式会社ワープスペース 常間地 悟 CEO(当時)、
ジンバブエ高等教育科学技術発展省のアモン・ムルウィラ大臣と)
Q 具体例をお伺いしたいのですが、特に印象に残っているプロジェクトはどんなものですか。

 2つあります。まずひとつは2020年に国際協力機構(JICA)からアフリカのスタートアップ企業の事業成長支援の枠組みや、プラットフォームを作る役割を任せていただいたことです。当時投資することはできても支援ができる組織はあまりなかったので、我々のようなチームがJICAに委託されるのは日本で初めてでした。その支援プログラムにたくさんの優秀なスタートアップから応募があったなか、アフリカで最大規模の企業にまで育ったのがeコマースの物流や卸販売を手がけるWasokoです。日本の企業や国内外の投資家におつなぎした結果、Wasokoは約600~700億円の事業価値にまで大きく成長しました。

 もうひとつは我々が投資させていただいているHello Tractorというスタートアップの事例です。Hello Tractorは農業トラクターをシェアできるプラットフォームです。今のアフリカの農家さんの多くは中小規模で、経済的に自身でトラクターが購入できず、膨大なコストと時間をかけて手作業で行っています。そこで、トラクターを複数の世帯間や農協の中でシェアしたり、数日あるいは一週間といった短期間でも都度払いでレンタルが可能なサービスを提供することによって、低所得者でも効率的に農作業をすることを可能にしています。今はトラクター5,000台を250万人の農家さんに提供していて、実証実験中のエリアも含めると26カ国にまでサービスが急速に拡大しています。
 我々は同時に、日本企業との連携にも取り組んでいます。Hello Tractorの例だと、日本の少子高齢化と農業人口の減少の影響で余ってしまっている日本製の農業トラクターを、Hello Tractorに導入してもらっています。このように、日本とアフリカの課題を同時に解決し、社会的なインパクトとビジネス的なインパクトが両立した仕組みづくりやビジネスモデルを構築するというのが、まさに我々の目指しているところです。

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Q そもそもなぜアフリカで事業を始めたのですか。

 アフリカはいま20年前の中国や10年前のインドのように爆発的な人口増加が起こっていて、現在15億人の人口が2050年には25億人になると予測されています。人口が増えると農村部にいる人たちが仕事を求めて都市部に集まり、急激な都市化によって、慢性的な交通渋滞や、貧富の差の拡大といった問題が起こります。
 そこで我々はモビリティに注目しています。例えば、日本製の自動車は既にアフリカのインフラとして重要な役割をもっており、現地を走っている中古車の約60%を占めます。つまり、そこにはシェアリングエコノミーというビジネスチャンスがあるかもしれないし、あとはガソリン車からEVに移行することで、今まで他の地域が直面してきたような大気汚染の問題を先回りして解決していくこともできるかもしれません。そういった技術に先行投資をして、来たるアフリカの都市化への備えは、我々のビジネス機会と捉えています。

Q 社会課題の解決とビジネスの成功をバランス良く両立させるのは、とても難しいことだと想像します。やりがいはどんなところでしょうか。

 今までできなかったことや無理だと思われていた新しい取り組みを、発想やビジネスモデルの転換を通じて支援し、ビジネスの実現に寄与できたときは大きな達成感があります。お金というツールは、自己満足のために高級車を買うこともできれば、起業家に配分することで数万、数百万の農家さんたちの所得や生活の向上に繋げることもできる。同じお金でも使い方によって社会への影響が大きく変わるんだなと、身をもって感じています。

大学在学中に気づいた、ビジネスの重要性

Q 常に世界を飛び回りアクティブに活躍されていますが、どんな幼少期でしたか?

 実は私が小学校2年か3年生のときに両親が離婚し、母が私と弟を育ててくれました。母は一日中仕事で家にいなく、勉強しろと言われたことは一回もなかったので、ずっとゲームや好きなことをしていました。けれどだんだんと友人みんなが塾に行き始め、私も6年生のときに通い始めました。周りは3年生くらいから通っていたのに私はすぐに一番上のクラスに入れたこともあり、中学受験は余裕だと思って、受験直前までゲームをしていたんです。結果は第一、第二、第三志望すべてに落ち、滑り止めの中学校に行くことになりました。これがもうトラウマで、それから一切ゲームとかテレビは辞めて、こんなつまらない真面目な人間になっちゃいました。(笑)
 留学に興味を持ったきっかけは、中学生のときの反抗期です。いま思えば、家にいたくないという気持ちが、海外へ行きたいと思った大きな原動力でした。

Q そしてアメリカのボーディングスクール(全寮制の学校)に留学されました。そのまま現地の大学に進む選択肢もあったと思うのですが、進学先に筑波大学を選んだ理由はなんですか。

 学校では日本人は私しかいなかったので、日本についていろんな質問がくるんですけど、あまりにも自分の国のことを知らなすぎたんです。なのでゼロから日本の歴史や文化を学びなおしたいと思いました。あとは当時、将来は外交官や国連職員のような、国際的な環境で日本と海外をつなぐ仕事に就きたいと考えていました。その場合日本の大学に入るのが一番早いのかなと思い、国立大学のなかでも珍しく秋に入学ができる筑波大学に進むことを決めました。

Q 国際総合学類で学んだ学生生活はどんなものでしたか?

 すごく自由な環境で、他の学類の授業も積極的にとって1日中ずっと授業を受けていました。あとは全代会(全学学類・専門学群・総合学域群代表者会議)という大学全体の学級委員のような組織に入って、在学生の意見を集めて教育制度などの問題を大学と一緒に検討していったり。つくば市長選挙で、選挙参謀という立ち位置でボランティアもしました。市という、大学を越えた大きな社会について考えるきっかけにもなりましたし、政治の世界についても学ぶことができたというのは大きな経験にもなりました。

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(ボランティアとして参加したつくば市長選挙。中央が武藤さん)

 終電がないので遅い時間でもみんなで集まったり議論できる、というところが好きでした。使える時間がすごく多く本当にやりたいことに打ち込める環境で、切磋琢磨できる仲間や、同じ価値観を共有できる仲間を見つけられる、すごく稀有な場所なんじゃないかな。都会だと遊ぶ場所がいっぱいあってコミュニティが分散しちゃうと思うんですけど、筑波大は周りに誘惑もないですし、いい意味で閉ざされたキャンパスのなかで、みんなが好き勝手に自由に動けるのもいいところ。
 私は宿舎に4年間住んでいたのですが、留学生、特にアフリカから来た学生が多く、私はよく彼らに日本語の宿題やレポートを見てあげていました。そのときの仲間とは今でもつながっていて、母国に戻った彼らと情報交換をしたり、様々なネットワークの共有から次のビジネス機会を一緒に探したりすることもあります。国内の先輩後輩も含め、寮生活で同じ釜の飯を食った仲間が、生涯の宝、資産になっているなというふうに感じます。

Q そんな忙しい学生生活から、いまのキャリアにどうつながっていくのでしょうか。

 大きなきっかけになったのは、模擬国連の世界大会です。模擬国連とは、世界中の学生が担当国の大使になりきって議論をする場なのですが、私が1年生のときに日本代表チームに選ばれ、経済を議題とした会議に参加しました。世界のさまざまな統計数値や指標を分析していくなかで注目したのが、ある一定期間における人口の変動の状態を示す人口動態でした。それまであまり人口動態を目にする機会がなかったのですが、アフリカも近い将来、高度経済成長期の日本やかつての中国と同じような形の人口ピラミッドになるであろうと予想しました。人口が伸びるところは経済も伸びる、という基本原則を考えたときに、今まで支援の対象だったアフリカが、今度はビジネスの対象となる経済マーケットとして注目されるんじゃないかと思い、社会課題の解決と民間企業やビジネスの役割に興味を持ち始めました。それから社会工学や経済の勉強もして、卒業後は投資銀行に就職しました。外交官の道に進むにしても、まずはビジネスの根幹である金融の知識を身に着け、それを自分なりの武器にして勝負していきたいなと思ったんです。

アイデアと技術でチャレンジしている人に支援と資金を

Q その後、いくつかの職を経てアフリカに移り、現地でDouble Feather Partnersを起業されました。どのようなきっかけだったのでしょうか。

 投資銀行のあとは、国連機関傘下の中東カルテット(パレスチナ問題に関する和平プロセスを仲介するアメリカ合衆国、ロシア、欧州連合、国際連合の4者による枠組み)に投資アナリストとして入りました。そこもそうだったのですが、国際機関は基本的にものすごく大きい、何百億円規模の案件しか扱わないんですよね。だけど私は、本当に必要な支援や資金というのは経済ピラミッドの最下層の、起業したばかりの人、もしくは起業しようとチャレンジしている人たちに届かないと意味がないと考えていました。いまとなってはアフリカのベンチャー投資はかなり進んでいますが、私がアフリカに移った2017年当時は、ベンチャー市場の規模感も現在の20分の1ぐらいで、そこに投資をしている人もいませんでした。であれば自分がやろうということで、起業しました。

Q 日本での起業でさえとても大変だと思うのですが、アフリカで代表としてビジネスをする難しさはどんなところですか。

 アフリカは54カ国もあって、その国によって法律も宗教も文化も違う。一概にアフリカをひとつのマーケットとして捉えるのはすごく難しいんです。現地に根差したアプローチを取るローカルな視点と、アフリカ全土を見渡すようなグローバルな視点の両方がものすごく重要。
 周りからは、クライアントがお金持っていないアフリカでのコンサルティング事業はビジネスが成り立たない、絶対無理だと言われていました。でもチャレンジをすればできるんだよ、ということを体現したいですし、できつつあるのかなと思います。

Q 今後の展望は?

 ベンチャー投資を加速させていくのはもちろん、投資がしやすい環境づくりのために、例えばスタートアップ法(特定の国や地域が定めるスタートアップの発展と促進を目的とした法律)といったルール作りを、現地政府に働きかけるようなこともしていきたいと考えています。それにはまず、我々がスタートアップへの支援や投資で得た学び、成功・失敗事例をどんどん活用して、政策分野の専門家を巻き込める土台作りを強化していきたいと考えています。今、社内のバックオフィス体制の強化や、アフリカ現地スタッフも含めた人員を拡大しているところです。

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(Double Feather Partnersの仲間たちと)

考えるよりも、とにかくまず動く

Q 最後に、武藤さんは起業家として順風満帆に見受けられますが、そんな武藤さんから学生に何かアドバイスはありますか。

 やっぱり、考えるよりもとにかくまず動いてみることだと思いますね。大学には様々な勉強や研究をしているその道の専門家がたくさんいるので、とにかくいろんな人に会ったり授業に潜り込んでみる。ちょっと違うなと思ったら途中でやめてもいいので、いろんなことに学んで触れて、多角的なインプットすることによって、いま何が面白くてトレンドなのかがわかるし、自分が何に関心があってどういう仲間と一番馬が合うのかといったことが見えてくると思うんですよね。
 私の人生は常に成功しているように見えると、同級生などから言われます。もしかしたら外から見ればそういう側面はあるかもしれないけれど、自分自身では全くその感覚はなくて、むしろ9割ぐらいは失敗しているんですよね。でもその分動いてバットを振っている回数が多いから、9割失敗しても何かしらのことでヒットがしっかりと打てている、ということだと思うんです。なので、とにかく動いてバットを振る、バッターボックスに立ってチャレンジしてみる。現代は思考しなくともAIがいろいろな解をくれたり、海外に行かなくてもインターネットで情報を得られますが、だからこそやっぱり動くことがより重要な意味合いを持っているんじゃないかな、と思います。

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(朝から晩まで予定が詰まった学生生活でしたが「時にはこうして芝生のうえで息抜きしていました」と当時を再現していただきました)
Q ありがとうございました。

[聞き手 広報局職員]