社会・文化

TSUKUBA FRONTIER #034:学問の根本を突き詰める

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人文社会系 青木 三郎(あおき さぶろう)教授


1956年東京生まれ。1976年サンケイスカラシップに合格し、仏国政府給費留学生として仏国に留学。専門は発話言語学。1984年博士号取得。CNRS研究員を経て、1986年4月より本学で教育・研究に従事。人文学類、文芸・言語専攻、大学院GP(IFERIの導入)、国際交渉力強化プログラム(GNP)、大学の世界展開力強化事業(TRANS)のプログラムリーダーを経て、現在地球規模課題学位プログラム(BPGI)リーダーを担当。


言語学から地球規模課題へ

 言語学は言葉を研究する学問ですが、言葉にはさまざまな側面があり、一人の研究者が扱える領域はごくわずかです。それでも研究を掘り下げていくと、人間とは何か、さらには地球や宇宙の仕組みにまで、考察が広がります。けれどもそれは言語学に限ったことではなく、どの学問分野でも、根本的に理解しようとすれば同じアプローチへと導かれるはず。この発想から、言語学を超えて、地球規模課題の理解と解決に資する人材育成に取り組んでいます。


言語は未来遺産

 日本語の文法を説明できる人はどのくらいいるでしょうか。私たちは、主語や述語といった文章の構造を意識することなく、また、特別に教わったわけでもないのに、日本語を使うことができます。それは、人間の体の構造をよく理解していないのに、自分の体を使っているのに似ています。
 言語は、誰が作ったのか分からないものですが、私たちが生まれるずっと前から存在し、共有され、伝えられてきました。そして私たちも次の世代へと伝えています。文字として残されるものももちろんありますが、実は、「話す」というごく日常の行為を通じて、私たちは未来へと遺産を継承しているのです。つまり、言語は未来遺産。言葉を正しく使おう、ということが言われるものの、現在使われている言語自体、古典的な言語とは全く異なっています。言語は、使われ、伝えられる中で、さまざまな外界の知覚や認識を受けながら少しずつ変化し、新しい形になる、それが続いていくのです。
 物理的な重さや形を持たない言語が、どうやって存在しているのか。話者がいることが、その言語の存在意義ということになります。話者がいなくなれば、その言語は世の中から消えてしまいます。私たちは、日本語の存在を疑うことはありませんが、私たちが日本語を話していることこそが、日本語の存在証明です。でもよく考えてみると、それだけで日本語の存在や言葉の力を実感できるというのはとても不思議なことというほかありません。


言語の多様性が人類を救う

 英語の重要性が謳われ、小学校でも英語教科が導入されています。英語は世界の共通言語となっており、誰もが学ぶべき言語であることに疑うところはありません。けれども、世界中の言語が英語だけになってしまったらどうでしょう。先述の通り、言語は話者がいなくなったら滅びてしまいますから、英語しかない世界というのは、人類の生存を脅かしかねないものでもあるのです。
 その一方で、学術やビジネス、テクノロジーなどの分野では、英語ですべてを統一してしまおうという流れがあります。確かに、その方が議論も早く進みますし、便利であることは否めません。それでも、その流れが日常生活にまで及んではいないことを考えると、人類には、言語の多様性を保とうとする本能的な力が働いているのかもしれません。


全容は一人では解明できない

 学問は、どの分野でも細分化が進んでいます。言語学も、例えばそのうちの音声学一つとっても、母音と子音とに分けられ、子音はさらに細かく分類されます。基本的な考え方や研究手法は共通でも、そのそれぞれに専門家がいて、互いに議論をすることは決して多くはないのが現状です。かつては、他の研究者の領域に踏み込むことをタブー視する風潮すらありました。
 もちろん、研究者一人ひとりが個々の研究テーマを掘り下げ、独自の成果を出していくことは重要です。けれども、もっと大事なのは、個別の研究成果が、それ以外のテーマとつながる力をどれだけ持っているか、ということです。言語学全体を俯瞰し、その全容を明らかにしようとすれば、多くの研究者が連携しなくてはなりませんし、もしかすると、世代を超えて研究が引き継がれていくことも必要なのかもしれません。
 同じように考えると、さらに学問全体を俯瞰するには、他の分野との連携が必然であることに気付きます。何かを探求するときに、他の分野がどのように取り組んでいるのかを知ると、新しいアプローチが見つかったり、共通の価値観が生み出されたりするはずです。それこそが学問の面白さでもあるのです。


コミュニケーション・生物・地球・ 宇宙そして言語

青木教授の研究室

 私たちのコミュニケーションにとって不可欠な言語は、人類が作り出したもので、もともと自然界にはありませんでした。これがどのように生まれたのかを突き詰めていくと、人類の歴史を遡ることになります。さらに、言葉の概念を広げ、他の生物もそれぞれのコミュニケーションシステムを持っていることを知ると、生物学への関心も広がっていきます。また、人間が言語を学び理解する科学的な仕組みを知る上では、記憶や心理、さらに脳科学も重要な要素です。そうやって、生物から地球、さらには138億年前の宇宙の起源にまで立ち返って理解することが、巡り巡って言語学の本質へとつながるのです。
 言語学を専攻しようというときに、脳科学や生物学、その上、物理学や数学まで、一通りの基礎を学ばなければならないというのは、大きなハードルに感じるかもしれません。しかし、人間の言葉は、こういった背景の上に成り立っているのです。これは言語学だけでなく、あらゆる学問に当てはまることだと考えるべきでしょう。人間の営みは、自然との関わりを抜きにして捉えることはできず、その視点を持たないままに、狭い分野にのみ着目しても、深い学びは得られないのではないか。長年の言語学研究の末にたどり着いた発想です。


大学でこそ、すべきこと

 これを具現化した教育プログラムが「地球規模課題学位プログラム(学士)」です。どんな学術分野も、人間(人類社会)と自然(地球システム)との間にあるものとして捉えることができます。自然資源の活用やデジタル化など、人類社会が地球システムに手を加えることによって生じる問題が地球規模課題ですが、地球システムの側からは、人類社会に対して直接的に語りかけてはくれません。ですから、人類社会がどう行動するかが問われます。こういった課題に取り組むには、特定の専門知を持ちつつ、他の専門知と結びつけて全体像を把握し、地球システムに価値付けをして、それぞれの分野で何をすべきかを見通し、差配できる人材が欠かせません。
 人間の活動は、多かれ少なかれ、地球システムに本来は存在しない仕組みを導入することになります。大学で行われる研究の多くは、そういった仕組みを生み出すためのもので、そこに特化していくことはある意味容易ですが、同時に、人類社会として地球システムとの付き合い方も考えなくては、研究の方向性を見失ってしまいます。その両面に目を向けることは、大学だからこそのミッションです。


地球規模課題学位プログラム(学士)

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国境を越えて地球全体に関係する複雑な「地球規模課題」を、「人間」と「環境」という大きな領域から捉え、それぞれを支える専門分野について、幅広い知識を身に付ける。課題全般を俯瞰し、自ら考え抜き、必要な情報・技術を、分野を超えて意欲的に求めていく姿勢を持つとともに、多くの選択肢の中から最適な解決策を意思決定できる人材を育成することを目指す。4年間の英語プログラム。
(URL: https://bpgi.tsukuba.ac.jp/jp/


 


 


創基151年筑波大学開学50周年記念事業